時は、僅かに遡る。
雅は一人、暗い廊下を走っていた。雅の靴音だけが静かな廊下に響く。魔物の姿はなく気配すら感じないのは、慧と春蘭が魔物を倒しながら進んだせいだろうか。
それでも気を抜くことは出来ないと、警戒しつつ周囲を見回す。
この建物は命の山の地下にある。光鈴の祭壇があったこの場所は、同時に陰羅を封印した場所だ。光鈴ともっとも縁の深いこの場所が陰羅の封印場所として選ばれたということは、光鈴の力はそれほどに衰えていたということなのだろう。
自然とそんな情報を理解しているのは、先程見た光鈴の夢のせいなのかもしれない。
そんなことを考えながら、雅はまっすぐに走り続ける。途中の枝分かれした道にも立ち止まりもしなかった。
ただ、いつも近くにいてくれた二つの気配だけを辿ってひた走る。
目の前に巨大な扉が見えた。閉ざされたその扉の先でみっつの大きな力がぶつかり合っている。
ふと嫌な予感がして、雅は眉をしかめつつ、口の中で小さく呪文の詠唱を開始する。
幸か不幸か。雅の嫌な予感は天界に来てからこの方、一度も外れたことがない。
まっすぐ続いた通路の先に見えた重たそうな造りの扉を半ば蹴りつけるように開けて、雅は全力で叫んでいた。
「――シールドォォッ!!」
瞬間、雅の目の前で黒い稲光が弾けて消えた。
いつまでも衝撃がこないことに訝しんだのか、春蘭が固く閉じていた目をそうっと開ける。
「……え? あ、あれ?」
「……みや、び……?」
慧が、半ば呆然とした様子で雅を見て呟いた。慧の言葉に、春蘭も小さく声を上げて雅を振り返る。
「雅ちゃん!?」
「……どうして……。あの魔法……」
催眠の魔法をかけたはずの雅がこの場に立ってることが信じられないのか、慧はまだ呆然としている。ここまで走ってきたせいで、雅は息も切れ切れになりながら、慧をきっと睨み付けた。
「そう、だった……! 慧! あんたねぇっ! 何するのよ、まったくもう!」
「え、あ、いや……」
雅の意思を無視して魔法をかけたのは事実なのっで、うまく反論できないらしい。慧は珍しくしどろもどろになりながら、困ったように視線を逸らした。
それを見ていた陰羅が、くすくすと面白そうに笑った。
「おやおや、煌輝達は君を守ろうと頑張っていたのに、光鈴自らこの場に来るとは……。本当に部下泣かせな神だねぇ、君は。……自ら命を捨てに来るなんて」
その言葉に。慧の肩がぴくりと動き、春蘭がぐっと唇を噛みしめる。
雅は小さく息を吸うと、陰羅に向き直った。
「は? 命を捨てに来た? 何言ってんの? あたし、初対面の男と心中するような趣味はないんですけど?」
腰に手を当てて目を半眼にしてそう言うと、陰羅が目を細める。
「おや? 光鈴、君は私を倒しにきたんだろう?」
「そうよ。あたしはあんたを倒しに来たの。そのために命を捨てる気なんてこれっぽっちもない。……何か矛盾してる?」
挑戦するような雅の物言いに、陰羅がおかしそうに笑った。
「しているだろう? 光鈴、君では私には勝てないよ。……今までもそうだったろう?」
雅は大きなため息を一つついた。
「もう、さっきから光鈴光鈴うるさいわね! 今までって誰の話だっての!」
そう言って顔を上げる。そうして陰羅を睨み付けた。
「あたしの名前は神代雅! あたしのことよーっく見てみなさいよ! どっからどう見ても金髪碧眼の光鈴とは別人でしょうがっ!? さっきからずっと光鈴光鈴呼んでるけどそもそもそこから間違ってるっての!」
慧と春蘭の視線を背中に感じる。けれど、雅は振り返らなかった。驚いた様子を見せる陰羅をまっすぐに見つめる。
「光鈴じゃないけれど、あたしがあんたを倒す! それで、ここで伝説を終わらせる!」
強い決意に満ちた雅の言葉を、陰羅は鼻で笑った。
「君が? 平和な地界で生まれ育った君が私を倒せるというのか? ……殺せると、いうのか? 私を殺して生き延びても、心に傷を負う。……後悔するぞ?」
「だから、ここであんたと心中しろとでも言うつもり? 冗談きついわ。死んじゃったらその後悔すら出来ないっていうのに?」
そんなことはここに来るまでに散々悩みぬいたことだ。だから、陰羅の雅を揺さぶろうとするその言葉にも心がが揺らぐことはなかった。揺らぐような覚悟しか持てないなら、そもそもこの場に立ってなどいない。
自分はまだまだ子供だが、だからと言ってあまり見くびらないでもらいたいものだ。
「……女子高生を、なめるなよ!」
雅の宣言が、薄暗い広間に反響したのだった。