ただ、ひたすらに。慧と春蘭は薄暗い廊下を走っていた。
この建物の造りを慧も春蘭も知らない。けれど、陰羅の気配は隠し通路からこの建物の中に入った瞬間から強く感じていた。だから、より気配の強い方へと走っていく。
その走りに迷いはない。
まっすぐに続く廊下に曲がり角が見えたところで、春蘭が小さく息を呑む。その気配を感じた慧は瞬時に右手に意識を集中させた。
慧の右手に一振りの剣が握られる。同時に、曲がり角から三つの影が飛び出した。
明かりが少ないせいで、はっきりと姿かたちは掴めない。けれどその禍々しい気配や明らかに人ではない姿から、魔物であることは間違いない。
慧はその影の一つを上段から一刀両断にする。そして返す刀で次の影に切りかかり、倒したところで春蘭の魔法が完成する。
「――……風神!」
風が、最後に残った影を切り裂く。
全ての魔物を倒したことを確認して、春蘭はほっと息をついた。慧も一息つくと春蘭を見やって目を細める。
「それにしても、よく気付いたな。魔物の気配」
陰羅の気配が強すぎるせいで、慧には気配を察知することがひどく難しい。さすがに近づけば陰羅と魔物の気配の違いは分かるが、春蘭ほど正確に気付くことは出来ない。
春蘭は小さく笑って小首を傾げた。
「お預かりしている鏡の力だと思います。鏡は占いにも使いますから、私の感覚を高めてくれているみたいです。……それに」
「それに?」
歩き出しながら問いかけると、春蘭もまた歩き出しながら、口を開く。
「この場所……そこかしこから微かに……光の気配がするんです。それをかき分けるように魔物が近づいてくるから……」
その言葉に、慧は不思議そうな顔をした。
「光の気配? だってここ……陰羅のいる本拠地なんだぞ?」
慧の言葉に春蘭は頷いた。その表情はどこか腑に落ちないものの、発言を撤回するつもりはないらしい。
「もしかしたら……この場所は、光鈴に縁の深い場所なのかもしれません。それで力の残滓が残っているのかも」
「そんな、まさか……。そういや、ここってどこなんだろうな?」
「さあ……? 井戸に降りてから方向感覚がないも同然ですからね。晄潤様のお宅の近くで光鈴に縁のある場所と言ったら、命の山くらいですけど……」
慧は思いっきり眉をしかめた。
「命の山って……聖域だぞ?」
「そうなんです。……でも、だからこそ陰羅がどこにいるのか、誰にも掴めていなかったのかもしれないと思いまして……」
確かに、光鈴の祭壇があり全ての命が還ると言われるこの場所に陰羅がいるとは、誰も想像すらしないだろう。
「……なるほど」
「それに、薄暗いからよく見ないと分かりませんけど、この廊下……神殿の造りによく似てるんです」
「え?」
そう言われて改めて周りを見回せば、確かに柱の造りやそこに施された装飾が神殿のものに近いことに気付く。
「……よく気付いたな」
「やっぱりなんとなく目がいくんですよね。巫女の習性というか……」
春蘭はそう言いつつ小さく笑ったが、ふと視線を上げて表情を真剣なものへと改めた。
慧も目の前へと視線を向ける。目の前には巨大な扉があった。強い気配はこの奥へと続いている。
その扉の前で、二人は同時に足を止めた。春蘭がごくりと息を呑み、慧が扉に手をかける。
「……いいな? 開けるぞ」
「……はい!」
そうして重たい音を立てて開いたその扉の先には、薄暗い部屋が広がっていた。その広い部屋の中央にはぽつりと台座があり、そこに一人の男が腰かけている。
「ようこそ。……おや? 光鈴はいないのかな?」
長い黒髪に金の瞳の男が、ひどく冷たく笑う。慧は低い声でその者の名を呟いた。
「陰羅……!」