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    蒼穹の狭間で  蒼穹の狭間で(10)

     神代家の荒れ果てた台所を何とか復活させ、その他諸々の家事手伝いも済ませた裕幸と智花は高校にやって来ていた。
     下校時刻をとうに過ぎた学校は、静まり返っている。
     いつもならば校庭からは部活動の声が聞こえるような時間なのだが、インフルエンザの影響かどの部活も活動をしていないようだ。
    「……静かね〜」
    「……そうだなぁ」
     そう言いながら、二人は何となく空を見上げる。何となくここに来た二人は、特に何かするでもなく立ち尽くしていた。
     不思議と帰ろうという気にはなれなかった。ここにいなくてはいけない、そんな気さえするのだ。
    「裕幸、早瀬さん」
     そんな呼びかけと複数の足音に、裕幸と智花が同時に声のした方に視線を向けると、そこには優也と遥そしてスーツ姿の彰彦が立っていた。
    「おじさん、こんにちは」
    「もうお仕事終わったんですか? いつもよりだいぶ早いですけれど……」
     ここ一週間毎日のように神代家に訪れていたため、彰彦の帰宅時間まで把握してしまった智花の言動に、彰彦は小さく苦笑する。
    「今日は、早退させてもらったんだよ。……で、何となくここに来ようと思ったら、そこで母さんと優也に会ったんだ」
    「俺達も、何となくここに来たくなってさ。……そしたら、お前らがいたんだよ」
     彰彦の言葉を継ぐように、優也が語る。そうして、優也は空を見上げた。それにつられるように、全員が空を見上げる。
    「もしかして……あなたたちも何となくここに来たの?」
     遥の問いかけに、裕幸は頷いた。
    「はい。……何となく、ここにいなきゃいけないような気がして……」
     根拠は何もない。ただ何かが起こるような、そんな気がする。
     その時だ。突如強い風が吹き、裕幸達がいる場所から少し離れた所で、風が渦を巻いた。
    「これ! この竜巻……!」
    「雅がいなくなった時と同じだ!」
     智花と裕幸の言葉に、神代家の人々が目を丸くした。
     彼らがこの場所に集まったのは、この風が発生することを何となくではあるが感じとっていたからだろうか。
     そんなことを思いながら、裕幸と智花を先頭に風に駆け寄る。風の向こうに人影が見えたような気がして、裕幸はごくりと息を呑んだ。
     風が、ゆっくりとほどけていく。そしてその中に目を閉じて佇む、よく見知った少女の姿に全員の顔が輝いた。
    「……雅!」

     名前を呼ばれた気がして、目を開ける。そこには家族と幼馴染と親友の姿があった。思いもよらない出迎えに、雅は戸惑って瞬きを繰り返した。
    「……へっ? あれ? みんな、何でここにいるの?」
     呆けたようなその口調に、裕幸の表情が安堵のものから怒りへと変わった。
     雅は約一週間、行方不明になっていたのである。ここまで心配をかけておいて何ではないだろう。裕幸が起るのも無理はない。けれど、魔法も何もないこの世界で、彼らが雅の帰還に居合わせたことが不思議で仕方がなかったのだ。
     ここ天界ではないと認識している分、余計に。
     そんな雅のどこかずれた思考など知る由もなく、裕幸が詰め寄ってくる。
    「何でじゃねーよっ! お前、今までどこにっ……!?」
     裕幸の言葉が途切れた。雅の身体から力が抜けて、がくりと膝をついたからだ。
    「み、雅!? おい、大丈夫か?」
     裕幸や智花、家族が心配そうな声音で雅に声をかけるのを聞きながら、雅は地面に手をついた。
    「眠いっ……」
    「はぁ!?」
     お前心配させといて眠いはないだろうと言われそうだし、雅もそう思う。けれど、眠いものは眠い。戦いが終わったことと無事に帰ってこれたことで気が抜けたのだろう。今まで力づくで抑えていた慧の魔法が再び効力を発揮しだしたらしい。
    「あいつ、どんだけ強い魔法かけたのよ……」
     思わず口に出したところで、答えてくれる人などいるわけがなかった。
    「……て、おい。雅? 大丈夫か?」
     頭上で裕幸がそう尋ねてきたけれど、全く大丈夫ではない。意思に反して、瞼が落ちてくる。異常なほどの睡魔に抗えそうにない。
     さすがに様子がおかしいと、智花が雅の顔を覗き込んだ。
    「ちょっと、雅! 大丈夫? 眠いって何があったの?」
    「……うん、まあ。ちょっと……」
     天界のことを話すべきか否か。眠い頭で考えるが、どうにも頭が回らない。
     風にさらわれたり、風によって戻ってきたりを目の前で見ている彼らならば信じてくれるかもしれないが、そうするとなし崩しで陰羅のことも話してしまいそうだ。
     それはまずいなと思うのだが、うまい言い訳も思いつきそうにない。
     その時、ずっと握りこんでいた手から、青い石が零れ落ちた。
    「……何? 勾玉?」
    「ああ……。うん。これを、貰いに行ってたような……」
     眠すぎて自分でも何を言っているのか理解しないまま、雅は呟く。誰かの訝しむような声が聞こえた気がした。
    「ごめん、ちょっと、本当に、無理……。起きたら、話すね」
    「雅!?」
     優也が雅を支える。雅は小さく微笑むと、一度だけ空を見上げた。日の傾きかけた空は、蒼穹から茜色に変わっていた。
     天界はこことは異なる世界。だが、同じ空の下にある世界だ。
     彼らも、同じ空を見ているだろうか。
     そんなことを思いながら目を閉じかけた雅は、一番言わなくてはいけないことを言っていなかったことに気付いて、何とか目を開ける。
    「……みんな、心配かけて、ごめんなさい。……ただいま」
     地界の大切な人達にこの一言を言うために。雅も慧も春蘭も苦悩しながら戦ってきたのだ。
     ――これで、悲しい伝説は終わったよ。光鈴。
     心の中で、光の神に呼びかける。すると。
     ――……ありがとう。
     夢現に聞いたその声は、果たして現実のものだったのかどうか。雅は小さく微笑むと、改めて目を閉じたのだった。 

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