朝ご飯に晄潤が焼いた米粉のパンを食べ準備を万全に整えた雅たちは、晄潤に連れられて小屋の裏側へと回った。
「これが、陰羅の所に繋がる道です」
「……こ、れが……」
春蘭が驚愕に満ちた声で呟く。晄潤が大真面目に頷いた。
「はい。この先に陰羅がいます」
雅は晄潤が指し示したものを、ぼんやりと見つめる。それは、どこからどう見ても井戸に見えた。しかもポンプ式ではなく、もっと古典的な滑車で水を汲み取るタイプだ。
ゲームでよく見るようなタイプの井戸ってこんなんじゃなかったっけと雅はふと思う。
「……井戸だよね?」
「……井戸だな」
「……井戸、ですねぇ」
声の調子からすると、やはり井戸の向こうに陰羅がいるという展開は、天界人二人の感覚からしても何かがおかしいようだ。
井戸の中にアイテムがあったり、何故か人が住んでて話を聞いたりするという事態は考えたことはあったけれど、さすがに井戸の向こうにラスボスがいるという事態は考えたことがなかった。
「帰って来る時、水に濡れた状態で出てくることになるのかな、これ……なんかホラー映画みたいで嫌だなぁ」
ぽつりと雅が漏らした感想に、春蘭が首を傾げつつも苦笑する。
「えいがが何なのかは分かりませんが……。それがあんまりよさそうな状態じゃないのは分かります」
「よくないよー。こう水をびたびたに垂らしながらずるって出てくるんだよ」
「え……何ですか、それ……。なんか怖いですよ」
「そりゃホラー映画だもん」
緊迫感がないうえにどこかずれた会話に、慧が小さく苦笑した。
「大丈夫ですよ、これ枯れ井戸ですから」
会話を縫っての晄潤の言葉に、雅はふーっと息をつく。
「よかった。よく考えたら、冬に井戸に飛び込むなんて自殺行為以外の何物でもないですよね!」
「……それ、一番最初に気にしなきゃいけないことだったんじゃないか?」
苦笑いとともに言われた言葉に、雅はそうかもと苦笑する。
帰って来た時の話なんて気が早すぎるかもしれない。
けれど、未来を想像することは今の雅にとっては大事なことだ。生き残っていなければ、そんなホラー映画のような一場面すら迎えられないかもしれないのだから。
「それじゃ、行きますか! ラスボスの所にね!」
雅の言葉に、慧と春蘭が頷く。晄潤は少し悔しそうに微笑むと一歩だけ引いた。その動きに真っ先に気付いたのは、やはり春蘭だ。
「……晄潤様?」
「私はついてはいけませんので、ここでお見送りさせてもらいます」
「え? 何でですか?」
雅は首を傾げる。何となく、陰羅のところまで案内してくれるのではないかと思っていたのだ。
「……この井戸を降りて一時間ほど歩いた先に、陰羅はいます。けれど、この通路の存在を彼は知りません。光鈴の術によって隠されているからです。そして、その術は春蘭に渡した八咫鏡がこの家に安置されることによって維持されていました」
ならば、術を維持していた鏡がなくなってしまえば、この通路の存在が陰羅に知られることとなるのではないか。春蘭が表情を曇らせた。
「え? それでは、私はこれをお借りしてはいけないのでは……?」
懐から鏡を取り出してそう言った春蘭に、晄潤は首を横に振った。
「いいえ、それはあなた方を導いてくれるものですから、持って行ってください。……大丈夫。鏡の代わりに、私がこの場にいることで術は維持されます。……だからこそ、私はここから動けないんですよ」
苦笑した晄潤の身体が淡く光を放つ。
「お力になれずに、すみません。雅」
「そんなことないです。……お世話になりました」
雅はぺこりと頭を下げる。慧と春蘭も会釈をした気配がした。
「お気をつけて。あなた方のご無事を祈っています。……あ、そこの縄梯子使ってくださいね」
神々しい雰囲気で無事を祈った後に、あっさりといつもの調子に戻る晄潤に雅は小さく笑みを浮かべると、最終決戦の地に繋がるという井戸を覗き込んだのだった。