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    蒼穹の狭間で  5.決戦前夜(6)

     しばらくの間、小さく笑って。雅はふと笑いを収める。そして、まっすぐに慧を見た。
     真剣な雅の表情に、慧も憮然としたような表情を改める。
    「……分かってるよ、ちゃんと。分かってて、それで決めた。陰羅と戦うって」
     その言葉に、慧が眉間にしわを寄せた。それでも互いに視線は逸らさない。
    「それはね、本当は殺したくなんかないよ。でも、殺さないっていう選択をしたら……陰羅に殺されるか、陰羅を封印するしか道はないよね。伝説を終わらせるか、伝説を繰り返すか」
     そう言って、雅は目を閉じた。口元に苦い笑みを浮かべる。
    「……正直、戦うって決めるのにも勇気いるんだけどね。でもあたし、死にたくないんだよね」
     ここに来るまで、色々と悩んだ。心に決めたはずの今だって、まだ延々と悩んでいる。けれど、ひとつだけ。ぶれない気持ちがある。
     死にたくない。そして、目の前のこの人と春蘭を死なせたくない。
     その気持ちだけは、揺るがない。ならば選ぶ道などひとつしかないではないか。
    「もし、陰羅を倒せたら……無事に地界に帰った後も、たぶん色々なことを考えたり、悩んだり……苦しんだりするんだと思う」
     この世界で起こったことを地界の誰に話せる訳もない。家族にも幼馴染にも親友にも話せない秘密を抱えて帰ることになる。きっと悪夢も見るだろう。それらの問題と、雅は一人で戦わなければならない。
     慧も春蘭も晄潤も、地界にはいないのだから。
    「でもさ、そういうのも……生きてるからこその悩みなんだよね。死んだら、そこで終わりだし」
     雅はそこで言葉を切って小さく笑った。
    「……だから、あたしは陰羅を倒す道を選ぶよ」
     それに、旅の当初はそこまで深く考えていなかったとはいえ、陰羅を倒すと宣言して旅立っているのだ。ここで投げ出すのも無責任なようで、もうそんなレベルの話ではないと分かってはいるけれど、何だか嫌だ。
     あの時とは事情も考え方も想いも何もかもが変わってしまったように思うけれども。
     まだ一週間も経っていない旅立ちの日を思い出して、雅は苦笑を零した。
    「……雅」
     慧が小さく呟いて、そのまま押し黙ってしまう。心境が複雑すぎて言葉にならないのだろう。しかめた眉が、慧の感情を物語っている。
    「……ありがとうね、慧」
     そんな慧を見つめていた雅の唐突な言葉に、慧が微かに首を傾げる。
    「いつも助けてくれて、そんなに気にかけてくれて。……でもね、一応一番後悔しないんじゃないかなって道は選んでるつもりだから」
     ここで慧や春蘭を見捨てて帰っても、死ぬ道を選んでも絶対に後悔する。いや、死んでしまったら後悔すら出来ない。
    「だから、大丈夫。……そんなに、心配しないで?」
     その言葉に、慧が黙ったままゆっくりと目を閉じた。そうして、開いた時の瞳に宿った色が深い気がして、雅は思わず息を呑んだ。
     月明かりと小屋から漏れる光でそれなりに視界が利くとはいえ、天界の夜は暗い。それで、そんな風に見えたのだろうか。
     そんな雅の心の内など知るよしもなく、慧が小さく苦笑を浮かべる。
    「……分かった。じゃあ、俺ももう帰れとは言わない。俺も……決めたよ」
    「何、を……?」
     そう尋ねると、慧は苦笑を深める。
    「戦うこと、かな」
     どこか曖昧な物言いをする慧に、雅はさらに何かを問いかけようと口を開く。
    「……雅ちゃん! 慧君!」
     それを遮ったのは、春蘭の呼び声だった。少しだけ遅れて、小屋の戸が開く。
    「あ、ここにいたんですね……って、お話中でしたか? すみません」
     申し訳なさそうに肩を竦める春蘭に、慧が笑いかけた。
    「いや、大丈夫だ。だいたい終わった。……何かあったのか?」
    「あ、はい。晄潤さまがお呼びです」
    「分かった。すぐ行く」
     どうもこのまま話を続けることは難しそうだ。雅にしても、慧の曖昧な物言いが引っかかってはいるが、何を言えばいいのか自分でも分かっていない。
     まあいいか、と自分の中で結論付けて、雅は小さく頭を振った。
    「戻るか。何だろうな、話って」
    「何だろうね?」
     雅は首を傾げつつも、一度だけ振り返り星空を見上げる。そうして、もう一度気合を入れなおすと、春蘭と慧に続いて小屋の中へと戻ったのだった。 

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