「……慧」
そう呼びかけると、慧は黙ったまま振り返る。雅と慧は視線を合わせ、そうして先に逸らしたのは慧の方だった。
雅は雅で呼びかけてはみたものの後の言葉が続かずに、黙り込んでしまう。
そんなどこか気まずい沈黙を破ったのは、春蘭だった。
「……雅ちゃん。昨日、黒李に襲われた後のこと……聞いてもいいですか?」
「え? あ、うん。そうだねー……」
そう言いつつ、雅は考え込んだ。
「でも、実はあたしもよく分かんないんだよねぇ。……攻撃を受けて、気がついたら晄潤さんの家の前にいたの。怪我は晄潤さんが治してくれて……」
「え? 勝手に治ってたりしませんでした?」
「うん。傷だらけだったみたい。勝手に移動してたみたいだけど……」
そう言って雅はちらりと慧に視線を向ける。慧はその視線に気付いて一瞬だけ雅を見たが、すぐに視線を逸らされてしまって、その真意は掴めない。
「ううーん……。何が起こったんでしょうか? 雅ちゃんも、何だか強くなってらっしゃいますし……何があったんですか?」
首を傾げる春蘭に、雅は笑いかける。
「とりあえず、歩きながら話さない? 晄潤さんも待ってるし」
その言葉に、春蘭はぱっと顔を輝かせた。
「そ、そうですね! でも、よかったです。雅ちゃんが晄潤様のところにいて……。目が覚めたら、雅ちゃんいないし……本当に、よかった……」
歩きながらもそう呟く春蘭の瞳は、安堵に潤んでいる。雅も仄かに微笑んだ。
「うん。ごめんね、心配かけて。二人も無事でよかった。……さっき怪我が勝手に治ったか聞かれたけど、春蘭達は治ってたの?」
そう尋ねると、慧と春蘭は同時に頷いた。
「そう……」
雅は、昨日の出来事をもう一度思い返してみる。慧が倒れて、雅も倒れて。それから、強く願っていたこと。そうして思い起こせば勾玉が熱を帯びていた気がすることを考えれば、何が起こったかはだいたい想像がつくのだけれど――。
何だか告げるのは気恥ずかしいし、怒られそうな気もするので黙っておこうと決める。第一、何の確証もないのだ。
「雅ちゃん?」
「あ、ううん。移動しちゃったことといい、不思議なことが起こるなぁって」
「……晄潤様が何かをなさったとかではなく?」
「多分、違うと思うよ。そんなこと一言も言ってなかったし……」
そこだけはっきりと言うと、春蘭は不思議そうに首を傾げる。
「……雅、晄潤様のところで、何かあったのか? 力が、強くなってる」
慧の言葉に、雅は曖昧に笑った。
黒李だけでなく、慧や春蘭までそう言うのだから、雅の力は本当に強くなっているのだろう。けれど、雅の中で昨日と変わった点といえば、色々と決心をしたことだけだ。
「うーん……とりあえず、色々お話を聞いて。そうしたら、何か色々吹っ切れたっていうか……それだけだよ?」
「話を聞いてって……」
「うん、ごめん。先に聞いちゃった。伝説について」
その言葉に、慧と春蘭が目を見開く。
雅は小さく笑った。
「色々迷ったけど……決めたから。戦うこと」
その、言葉に。慧が複雑そうな表情をして雅を見た。
「……雅」
その声の複雑な色にはあえて触れず、雅は前方を指差した。
「あ、ほら見えたー。晄潤さんの家ー」
そう言って目に留まったのは、可愛らしい丸太で出来たログハウス。そうか、この家こんな外観していたんだな、と改めてまじまじと家を見る雅の横で、慧と春蘭がぽかんとした顔をしていた。
「……あれ? どうかした?」
「いえ……あの……晄潤様のお住まい、ですよね?」
「そうだよ? ……ああ、なるほど」
晄潤は伝説にも名を残す賢者なのだ。まさかそんな有名人がこんな可愛らしい小屋に住んでいるなど、思いもしなかったに違いない。
「……けど、ほら。あたしが召喚されたのだって、何の風情もない原っぱだし! ……っていうか、そんなのばっかりじゃん、天界!」
この世界は伝説に拘るわりには、伝説を蔑ろにしている。そんな風に憤る雅に、苦笑と共に声がかかった。
「それはすみません。今後気をつけますね〜」
その穏やかな声は小屋の横手から聞こえた。
「晄潤さん!」
「お帰りなさい、雅。お二人も無事で何よりです」
そうして、よりによって芋を抱えて現れた晄潤に雅は苦笑を漏らし、慧と春蘭はさらにぽかんとした表情をしたのだった。