晄潤には悪いが、何を言っているのというのが雅が最初に抱いた感想だった。
この伝説を始めたのは、光鈴なのだ。
終わらせたいと思うなら、そもそも陰羅を封印せずに倒してしまえばよかったのだ。何やら事情があったらしいが、そんなことは正直雅の知ったことではない。
そんな雅の感情など、手に取るように分かったのだろう。晄潤は小さく苦笑した。
「……雅の言いたいことは分かります。……けれど、光鈴は伝説が一刻も早く終わることを望んでいました。光鈴には為しえなかった天界の真の平穏を、心から願っていたんです」
「……なら、何で倒さなかったんですか?」
静かな雅の問いに、晄潤は寂しげに笑った。
「簡単です。……陰羅の方が強かったんです。光鈴には封印するしか方法がなかったのですよ」
その言葉に、雅はぴしりと固まる。
「……えええ!? それじゃあたしも勝てないじゃないですか!」
当時の光鈴が勝てなくて、あくまで人間の雅が勝てるわけがない。
「大丈夫、そんなことはありませんよ」
「いや、説得力ないし!」
そもそも、雅がここに辿り着いたのは、陰羅の式である黒李にあっさりと負けたからだ。陰羅の配下にも勝てないのに、陰羅に敵うわけがない。
雅が強く唇を噛み締めると、晄潤は小さく首を横に振った。
「光鈴の力は魂に宿るものです。その力を全て発揮できれば陰羅を倒すことは可能でした。けれど、当時の光鈴にはちょっと事情がありまして、力の全てを使うことが出来ない状態だったんですよ。だから、残された手段は封印しかなかったんです」
そう言って、晄潤は雅を見て目を細めた。
「けれど、受け継がれた魂に宿る力が削がれた訳ではないんです。あなたの魂には陰羅を倒せるだけの力があります。だから、大丈夫です!」
最後はやたらと力を篭めて言われたが、それで納得が出来るわけがなかった。
「……じゃあ、何で今までの人は倒せなかったんですか? あたしだって……陰羅の式に勝てなくって、ここに来たのに」
「……その時、雅はどんな気持ちでいましたか?」
疑問に疑問で返されて、雅は数度瞬いた。
「へ?」
「陰羅の式に勝てなかった時です。……伝説の真実を知って、迷っていた時ですよね?」
「……はい」
小さく頷いた。
その通りだった。暁安から出発してからずっと、迷っていた。伝説の真実を知って、相反する感情を抱えて。自分がどうしたいのかも分からなくて、そんな自分も嫌で。
「迷いは力を鈍らせます。……私の役目は、代々の光鈴の生まれ変わりの迷いを打ち消し、陰羅の元に導くことでしたが……。それを果たせたことはありませんでした。一番最初の人は、力に溺れました。そしてある人は戦うこと自体を拒否し、ある人は葛藤のままに陰羅に挑み……」
それはとても苦い口調だった。
光鈴がこの伝説を早く終わらせたがっていたかどうかは、実のところ雅には分からない。けれど、何度も光鈴の生まれ変わりを見送ってきた晄潤が伝説が終わることを願っているのは、真実に違いない。
そう思うほどに、晄潤の表情が苦悩に歪んでいた。
「……どれも、分かる気がします。あたしも、同じようなことで悩んでました」
力に溺れたという人の心も理解できる気がした。強い、強すぎる力は恐怖を感じると同時に酷く人を惹きつけるのだ。
あとの二つの感情も、雅には身に覚えのあるものだ。やはり、皆同じ場所で躓くのだろう。
「過去形、ですね?」
その言葉に、雅は小さく目を見開いた。意識して紡いだ言葉ではない。けれど言われてみれば過去形で、やはり自分は既に心を決めていたのだろうと、苦笑を零す。
「そう、ですね。……黒李に襲撃されるまで、迷ってました。正直、こんな世界嫌いで逃げたいけど……でも、出会った人達を見捨てることも出来なくて、どっちつかずで……。でも……」
目を閉じてまずはじめに思い出すのは、迷わずに雅を庇った慧の後姿。そして、暁安の町で雅を案じて帰れと言ってくれた時の姿だ。
最初は雅を神の生まれ変わりとしか見なかった春蘭だって、ぼろぼろに泣きながら、雅を召喚した自分を責めていた。
「……失いたく、ないんです。天界の命運とか、そんなのどうでもいいって思うんですけど……でも、なくしたくないものもこの世界にはあるから」
正直、まだ迷いはある。気にかかっていることもある。きちんと全てを終わらせることが出来ても、多分自分の心は傷つくのだろう。分かっている。
それでも。
雅は目を開けて顔を挙げ、目の前の晄潤を見据えた。
「……真実を覆すことは出来るんですよね?」
雅の瞳を見た晄潤が眩しいものでも見るように目を細めてから、力強く頷いた。
「ええ」
ならば、雅が選ぶべき道はひとつだ。
「倒します。陰羅を。あたしが、伝説を終わらせる」