蒼穹の狭間で 2.目覚めの時(1)
何の夢を見ることもなく眠っていた雅はうっすらと目を開けると、布団の中から手を伸ばして、目覚まし時計を探した。
時間を確認しようと思ったのだ。けれど、伸ばした先に目覚まし時計はない。
「……あれ?」
呟いて起き上がり、そこが自室でないことに気付く。
「……どこ? ここ……」
眠気眼のままぼんやりと呟き――覚醒した。
頭がはっきりとすれば、様々なことを思い出す。
こともあろうに異世界トリップしてしまったことも、救世の使命を押し付けられたことも、何だかんだで旅立つことになってしまったことも。
いつもの習慣で、早起きをしてしまった雅は、小さく苦笑した。
別に、家事をする必要がないのだから二度寝しても構わないのだろうが、そんな気分にはなれない。そう思いつつベッドから抜け出て、窓辺に立つ。そうして、確認するように事実を呟いた。
「そっか。……あたし、天界にいるんだ……」
日の出の柔らかな光が、山の稜線を照らしていた。
「おはようございますっ! すみません! 私遅刻しました!?」
集合場所に雅と慧、そして見送りに来ていた稜の姿がすでにあるのを見つけて、春蘭は慌てて駆け寄った。胡蓮の村の門柱に寄りかかって何となく空を見上げていた雅は、春蘭に視線を移して首を横に振る。
「違う違う。……あたしは早起きしちゃっただけ。いつもの癖で、ついね〜」
「俺も早く着いただけだ。……春蘭はちゃんと時間通りだぞ?」
雅と慧の言葉に、春蘭はほっと息をついた。
「なら、よかったです。……ちょっと焦りました」
そう言ってから顔を上げた春蘭は雅を見て、笑顔を浮かべた。
「雅ちゃん、天界の服、似合っていますよ」
「そう? ありがとー」
さすがに学校の制服にローファーのままでは動きづらいし、何より目立つ。そこで雅は稜の厚意に甘えて、天界の服装一式を貰っていた。前に着物のように袷がある服で、なかなか動きやすい。それに風を通しにくいのか保温性に優れているのか、この冬空の下でも寒さを感じなかった。
「……じゃあ、そろそろ行く?」
「あ、ちょっと待って下さい。……雅ちゃん、これを」
そう言って春蘭が差し出したのは、深い青色の勾玉がついたペンダントを差し出してくる。
その青に不思議な既視感が雅の胸を過ぎった。
懐かしいような、切ないような、複雑な自分でもよく分からない感情に、雅は戸惑う。
「……雅?」
慧の声で我に返った。一瞬我を忘れて呆然としていたらしい。瞬時に、雅は平静を取り戻すと、勾玉を見下ろして首を傾げた。
「何? これ。……飛空石?」
あれも確か青かったと思って口にしてみても、異世界で通じるわけがない。
案の定、慧と春蘭は同時に不思議そうな顔をした。
「……何だ、それ?」
「ごめん。忘れて。……で、それ何?」
雅の言葉に不思議そうな顔で首を傾げていた春蘭だが、表情を改めて自分の手の中の勾玉に視線を落とした。
「昨日の晩に中央神殿から届けられたものです。……雅ちゃんの力を守り、開放する守り石だと聞いています。“八尺瓊勾玉”と呼ばれるものです。雅ちゃんは地界の人ですから、これがないと上手く力を使えない、とのことですが……」
そんなことを言われても、未だに雅自身は自分が光の神の生まれ変わりだとは思えないし、力があるとも思えないのだが。
けれど、旅に出ると決めた以上、受け取らないわけにもいかないだろう。
「……ふぅん。ヤサカニノマガタマ、ねぇ」
雅は勾玉を手にとって眺めると、それを首にかけてみる。
何か起こるかとちょっと期待してみたりもしたが、特に何も起こらなかった。
「うーん。何かこう、勾玉がびっかーって光ったりして、力を授かったりなんかしちゃったりするようなイベントを期待したんだけど。……なーんも起こらないね」
「何だそれ」
ちょっとがっかりした声音でそう言えば、慧が小さく吹き出した。まあ、昨日召喚場所に文句を言った人間の台詞ではなかったかもしれない。村の門の目の前で神様パワーを授かったところで、威厳も仰々しさも情緒もないことは確かだ。
「さて、春蘭、もういいか? 雅も大丈夫だな?」
慧の言葉に、雅は頷いて足元の荷物を手に取る。
「うん。あたしは大丈夫」
「私もです」
そうして、雅は居住まいを正すと、稜に頭を下げた。
「稜さん、一晩お世話になりました。いってきます」
その言葉に、稜は目を細め頷く。
「いってらっしゃませ、雅様。胡蓮よりあなたの旅のご無事をお祈り申し上げましょう。……慧、春蘭。雅様を頼むぞ」
その言葉に、慧と春蘭は同時に頷き、雅と同じく稜に頭を下げる。
「いってきます、長老」
「いってまいります」
その言葉に稜は大きく頷いた。そうして、雅の天界の旅は始まったのだった。