「……送ってくれてありがとう」
 家の前でバイクから降りた朱鳥は、刀夜に礼を言うと頭を下げた。
 焔薙ぎが終わると、刀夜はいつもバイクで朱鳥を家まで送ってくれるのだ。
 対焔魔用で焔魔以外は切ることも出来ないとはいえ剣を持っている朱鳥としては、たとえ剣をバトントワリング用の袋に入れていても、長時間一人で夜の町を歩くことは避けたい。
 制服を着ているわけではないから、多少は目に留まりにくいだろうけれど、警官に声をかけられないとも限らない。もしそんな事態になったら大変なことになるのは目に見えている。出来るだけ面倒事を避けたいと思うのは、当然のことだろう。
 刀夜のバイクの後ろに乗ってしまえば、一人で歩いているよりもそういった面倒事が起こる可能性は低くなるし、何よりも早く家に帰ることが出来る。
 最初に一緒に焔薙ぎをした日の帰りに刀夜に送っていくと言われた時は固辞しようとした朱鳥だったが、色々と考えた結果、現在は刀夜の申し出を素直に受け入れている。
 刀夜だって、朱鳥が補導されるような事態になったら色々と困るのだろう。だから、お互いの利害は一致していると朱鳥は思っている。
「……朱鳥って、そういうとこ真面目だよな」
「どういうこと?」
 ぽつりとそう言った刀夜に、朱鳥は首を傾げる。
「毎回、ちゃんと礼言うよな〜って。……俺のこと散々言うわりに」
「? ……だって送ってもらったんだもの、当然でしょ? あんたのことは確かに嫌いだけど、それと何かをしてもらって感謝の気持ちを示すのは別の話でしょ?」
 そう言うと、刀夜はおかしそうに笑った。
「……なるほどな。……じゃあ、俺帰るわ。学生が大変なのは分かったけど、勉強もほどほどにしろよ〜」
 そう言って、刀夜はすっと手を伸ばすと朱鳥の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ちょっ……!?」
「じゃあな〜」
 子ども扱いするなと朱鳥が抗議の声を上げる前に、刀夜は颯爽と去っていってしまった。
 バイクのエンジン音はあっという間に遠ざかっていく。
 一人自宅の前に取り残されたような形になった朱鳥は、ため息をつくと振り上げかけた手を下ろし、自宅へと入る。
 そうして二階の自室に戻った朱鳥は、ばたりとベッドに倒れ込んだ。
「つ、疲れたぁ〜……」
 気持ちとしてはこのままベッドに潜り込んでゆっくりと眠りたいのだが、そうもいかないのが現実だ。
 明日のテスト勉強がまだ終わっていないし、何よりお風呂に入りたい。
 ずっと高いところにいたのとバイクでの帰宅で、身体がすっかり冷え切ってしまっている。
「……うう〜」
 朱鳥は非常に緩慢な動作でベッドから起き上がると、ベッドの上に畳んで置いてあったルームウェアを手に取った。少し勉強をしてからお風呂に入るつもりだったのだが、どうも気分が乗らないので予定変更だ。
 お風呂で気分転換してから、勉強して寝た方がどうも効率がよさそうだ。
 ふと、目の前のドレッサーに映った自分の姿に目がいった。
 何だか髪の毛がぼさぼさで、年頃の女の子としてはちょっと悲しい。
 直前までヘルメットを被っていたものの、脱いだ時に簡単に手で整えたような記憶がある。となると、こんなにぼさぼさなのは、別れる直前に刀夜が朱鳥の頭を撫でたせいに違いない。
 そのことを思い出した朱鳥の顔が瞬時にしかめっ面になる。だが、その表情は長くもたなかった。
「……何なんだろう。あいつの、あの態度……」
 そう呟いた朱鳥の声音には戸惑いの色が滲んでいた。
 何を考えているのか分からない、飄々とした態度の嫌な奴。それが、朱鳥の刀夜に対する印象だ。これまで数度焔薙ぎを共にしてきたが、その印象は今のところ特に変わっていない。
 けれど、時々。刀夜の態度や表情にふと疑問を抱くときがある。
 それは例えば、焔薙ぎを終えた時の朱鳥を見る刀夜の視線であったり、先ほどのように朱鳥の頭を撫でるような動作であったりで、最初は視線を向けれらても何を見ているんだと反感しか覚えなかったし、頭を撫でられれば子ども扱いされていると腹を立てていた。
 そんな、どちらかといえば嫌悪感を抱いていら刀夜の眼差しや動作が優しいものだということに気付いたのは、本当に最近のこと。
 それはまるで妹に対するかのような優しいもので。少なくとも、婚約者である女性に向けるものではない。
「別に、女の子として見て! ……なんて言うつもりはないけれどさ」
 無意識にそんな言葉が零れ落ちていた。
 そう、女性として見てほしいわけではない。けれど、何だかすっきりしない。確かに朱鳥は駆け出しの焔薙ぎで、刀夜と比べたらまだまだなのだろう。年だって下だ。
 だが年の差はたったのふたつ。そして出会ってからそう期間が経ったわけではない男に、何で妹のような扱いをされるのか。
 ふと、刀夜が天涯孤独だと言っていたのを思い出す。
 そこで、刀夜の両親は元より、兄弟姉妹をも亡くしているのかもしれないということに気付いた。自分が一人っ子のせいか、兄弟姉妹の存在まで考えが及ばなかったのだ。
「……重ねてる、とか……?」
 それなら、納得がいくような気がする。事情に深くは踏み込まなかったので、推測でしかないが。
 何だかすっきりしないなぁと、朱鳥は小さくため息をついた。

 朱鳥は気付いていなかった。今まで焔薙ぎでない刀夜に対しては敵対心や反発心を抱くだけで、興味も何も感じていなかった。そんな感情が、今日ほんの少しだけ変わったということに。
 それは本当に些細な、けれど二人にとっては大きい、変化の兆しだった。

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