「……コウモリ、だね……」
「……らしいな」
 朱鳥のぽつりと零した呟きに、刀夜が頷く。ぼんやりと宙に現れた焔は揺らめきながらもコウモリのような形を象った。
 本当に生まれて間もないらしく、焔の状態はかなり不安定だ。
「んじゃ、さっさと片付けよーぜ。女子高生は忙しいらしーし」
「……お気遣いどーも」
 刀夜の言葉に半ば適当に応えつつ、朱鳥は剣を構える。隣に立つ刀夜も微かに肩を竦めた後、低く身構えた。
 それに動揺したかのように、焔魔の炎が激しく揺れる。そして、そのコウモリ焔魔は翼をばっさばさとはためかせると、真上に飛びあがった。
 一瞬、何か攻撃を仕掛ける気かと緊張する面々をよそに、焔魔はどんどんと空高く昇っていく。
「い、いきなり逃げる気っ!?」
 さすがに戦う前に逃亡をするとは思ってもみなかった。それは刀夜も同じらしく、ありゃと小さく呟いてから、紅蓮の名を呼ぶ。
 炎をまとった鳥が、強く翼をはためかせてコウモリの後を追う。翼が大きく力も強いせいか、紅蓮の方が上昇するスピードは速い。あっという間に追いつき、焔魔を地面にたたき落とす。……はずだった。
「う、うぬぅっ!? こやつ、ふわふわしおってぇぇぇぇ!?」
 焔魔が上手く飛べていないせいか、紅蓮の羽ばたきが起こす風に煽られているらしい。紅蓮の羽ばたく動きに合わせて焔魔がふわふわと不規則に動いているのが、下からでも見て取れた。
「……紅蓮。何やってんだ」
 刀夜が呆れ交じりの苦笑したような声音で、呟く。
 焔薙ぎの真っ最中だとは分かっているものの、脱力しそうな光景だ。何だか楽しそうにすら見える。
 その時、ふわふわと飛んでいた焔魔の姿が、建物の影に隠れて見えなくなった。
「ま、待て! 待つのである!!」
 それと同時に、紅蓮が焦った声とともに、焔魔が消えた方向に飛んでいく。
 これはもしかして、もしかしなくとも焔魔が逃げ出したということだろうか。
 あんな緩やかに飛んでいる焔魔を逃すだなんてどういうことだ、と紅蓮を責めたいような気もしたが、同じ飛行系の焔魔でも相性というものがあるのだろうし、そもそも今はそんなことをのんびり考えている場合ではない。
 追いかけなくてはならないが、この路地から見える空の範囲は狭く、紅蓮達が消えた方向しか分からない。
そのうえ、朱鳥は上を見ながらどこにもぶつからずに走るという芸当は持ち合わせていない。つまりこのまま追いかけるのはかなり難しいと言わざるを得ない。
 かなり間抜けではあるが、どうしようもない事態に朱鳥が頭を抱えかけた時、刀夜が小さくため息をついた。
「これやると疲れるんだけどな〜。……まあ、しゃーないか」
 アレのミスは主人である俺のミスでもあるし。そう言うが早いか、刀夜は朱鳥の肩を抱き、ぐっと引き寄せる。
「ななななな何するのよセクハラ男ぉぉぉぉーっ!?」
 動揺して上擦りまくる朱鳥にちらりとも視線を向けず、刀夜は上空を睨む。
「口閉じてろ! 舌、噛むぞ!?」
 あまりにも真剣な声音に、朱鳥は思わず口を堅く閉ざしていた。
 セクハラでは、ないらしい。
 刀夜の前髪がふわりと風をはらむ。その風の気配に、朱鳥は小さく息を呑んだ。そして。
「――追うぜっ!」
 その言葉と同時に刀夜は地面を強く蹴った。
「――――っ!?」
 朱鳥は上げかけた悲鳴を飲み込む。思わず目を閉じそうになったが、気力で耐えた。耳元で風が鳴るのがうるさい。
 朱鳥は刀夜に肩を抱かれたまま、ビルよりも高く宙を舞っていた。
「空飛ぶならそう言いなさいよ! 心の準備ってものがあるんだから! 本当にデリカシーがないわね、あんたは!!」
 そうとだけ叫んで、朱鳥は辺りに視界を巡らす。
 とりあえず文句が口に出たが、今は焔薙ぎが最優先だと分かっているから、紅蓮と焔魔の姿を探す。
「耳元で叫ぶな、うっせー! 今更俺にデリカシーなんて期待するなよ! ……あいつら、どこにいる?」
 二人分の体重を支えているため、いつもより風の制御に慎重になっているらしい。刀夜には周囲を見回す余裕がないらしい。
「偉そうに言うな! ……いた! あそこ!!」
 先ほど消えた方向よりも北寄りの方角に、炎の塊が二つ飛んでいるのが見える。
 あのよたよたした焔魔の飛び方では、そう早く飛べそうもないのに、朱鳥達と紅蓮達との距離は思っていた以上に遠い。
「……意外と距離あるな」
「……ねえ、もしかしてレンちゃんの風圧で吹き飛ばしちゃってるんじゃ……」
 思いつきで言った朱鳥の言葉に、刀夜は黙り込む。
 その横顔が思いっきりそうかも、と言っていた。本当にとことんコウモリ焔魔と紅蓮の相性は悪いらしい。
「……ええい、とりあえずあいつらに追いつく! スピード重視で行くからな! ちゃんと掴まっとけよ! 落ちても知らんからな! 剣も落とすんじゃねーぞっ!!」
「落ちないし、落とさないわよ!!」
 そう言って朱鳥が剣の柄をぎゅっと握り直しつつ、左手で刀夜の肩のあたりに手を回してしがみつくと同時に、ぐんと身体が風を切るのが分かった。
 覚悟があったせいか、今度は悲鳴を上げずに済んだ。
 ぐんぐんと二つの炎との距離が縮まっていく。
「……っしゃあ!」
 刀夜は小さく叫びを上げると、急にスピードを緩めた。
「っ!?」
 あまりの急ブレーキに、朱鳥は一瞬だけ目を閉じる。刀夜を怒鳴りつけたかったが、今はそれどころではない。
「紅蓮! お前、何やってんだよ!」
「と、刀夜殿〜。こ、こいつがふわふわと軽い身体をしているからいけないのだ!」
 コウモリとやや距離を置いて対峙していた紅蓮が情けない声で、そう言った。
 朱鳥の推測は外れていなかったらしい。距離を詰めて攻撃しようにも、紅蓮の羽ばたきによる風圧で、コウモリとの間合いが離れてしまい、どうしようもない状態に陥っていたようだ。
「こんな小物相手にっ! 不覚っ!!」
「不覚っ!! ……じゃねーよ……」
 刀夜が小さくため息をつく。ため息をつきつつも刀夜だって紅蓮と同じ気持ちに違いない。こんな弱い焔魔相手にここまで能力を使う破目になるとは思ってもみなかったはずだ。
「さて、どうすっかね……」
 刀夜がやや困ったように、呟く。刀夜は今、二人分の体重を支える風を使っているため、風を攻撃に回す余力がない。
 余力があったとしても、弱い焔魔ではあるが風を掴むのが上手いようだから、消滅させるにはよほど強い風を叩きつけなければ流されてしまう可能性だってある。
 紅蓮が近付いても、さっきと同じことの繰り返しであろう。つまり、あの焔魔を倒すには、朱鳥の剣でなければならないのだ。
 剣圧でも吹き飛ばされる恐れはあるが、朱鳥の剣は破邪退魔の剣だ。あの程度の力しかない焔魔ならば、刀身が触れなくとも近づくだけで消滅させるくらいの力はある。
 だが、どうやって接近すべきか。
 刀夜の周囲には、二人が空を飛ぶための風がめぐっているのだ。あの焔魔ではこの風の渦には近づけないし、こちらからも近づくことは難しいだろう。
「……ちょっと」
 どうしたもんかと悩む刀夜の服を、朱鳥はくいっと引っ張る。
「何だよ?」
「あの焔魔を倒せるのは、あたしの剣だけよね?」
「よく分かったな〜。せいかーい。偉い偉い」
 何だかひどく子ども扱いをしたような言い方に、朱鳥は一瞬唇を尖らせる。が、気を取り直して、言葉を続けた。
「でも、今あたし達はあの焔魔に近づけない。そうよね?」
「そうそう」
「……じゃあ」
 朱鳥は、囲まれているせいかあまり動こうとしない焔魔から視線を外さないまま、言った。
「やるしかないよね」

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