「昨日の……!」
 横取り男、という言葉は辛うじて飲み込んだ。父や母、それに高林の前だという現実を思い出したからだ。
「……あら? 知り合いなの?」
 高林が小さく首を傾げる。
「……まあ」
 刀夜が曖昧な笑みを浮かべ、肯定とも否定とも取れそうな調子で頷いた。
「そうなの? 素敵な偶然ね〜」
 高林はその言葉だけで、何だかロマンチックな出会いを想像したらしい。何故か頬を赤く染めてにこにこと笑う。その反応に、朱鳥は何とか浮かべた笑みが引きつりそうになった。
 じゃあ後は二人でお話でもしたら、と朱鳥の両親と高林によって、二人は喫茶店から続く中庭に押し出された。喫茶店からも出られるここの中庭は、有名なデザイナーが設計したらしい。
 綺麗に整えられた中庭は、確かに心地いい。今日は天気もよいから格別だ。だが、朱鳥には中庭を楽しむような余裕なんて少しもなかった。
 喫茶店からは両親と高林が見ているため、うかつに笑顔を崩せない。それは刀夜も同じだろう。爽やかな笑顔を浮かべたままだ。
「……最悪。最悪だわ。何で昨日の横取り男が出てくんの。意味分からない」
「うわー、見事に表情と言葉がミスマッチ。嫌われたもんだなぁ」
 綺麗な笑顔を浮かべたままの朱鳥と刀夜だが、二人が発する空気はかなり冷ややかだ。隣に立っていた中年の男性が気まずそうな顔をしてそそくさと離れていった。
「あーあ。おっさん行っちゃった。かわいそうに。お前の顔が怖いからだぞ」
「失礼ね。誰のせいだと思ってんのよ、この横取り男」
「あーのーなー。昨日の状況で横取り男はねーだろ。横取り男はー」
 むしろ命の恩人? と言ってへらへらと笑う刀夜に、朱鳥は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
 これは八つ当たりだと、自覚はある。昨日の自分の動きはそれはもう酷かった。分かっている。
 けど、それで簡単に納得出来るなら、昨日のうちに納得している。ずっと夢見ていた道にようやく一歩踏み出せた日だったのに、目の前のこの男のせいで、最悪の日に変わってしまった。
「……うっさいわね、もう少し時間があれば立ち直れたの! あんたさえ、あんたさえ来なければっ! あたしの初陣返せ! この泥棒男! よっくものこのこと顔出せたものね!」
 綺麗な笑顔のまま毒づく朱鳥に、刀夜は呆れたような笑みを浮かべた。
「……お前、それ完全に悪役のセリフだぞ?」
「うっさい!」
「それに俺だってここに来たくて来たわけじゃねーっつの」
 刀夜はそう言って疲れたようなため息をついた。
 そんなため息をつかれると、それはそれで腹が立つ気もする朱鳥だ。
「うちの師匠がお前のとこのばーさんに恩義があるらしくてな。断るに断れなかったんだよ」
「師匠……安曇さん?」
「そう。フリーになったとはいえ、師匠は師匠だし……逆らったら怖ぇし……」
 そう言う刀夜の表情はかなり真剣だ。怯えているようにすら見える。
 朱鳥は安曇と面識などないが、祖母は旧知の仲らしい。このお見合い話は両親が設定したものだが、祖母の意向も含まれているものだから、祖母と縁のある人が来るのだろうとは思ってはいたのだが、まさか安曇の弟子が来るとは思わなかった。
 安曇は女性ながらに最強の焔薙ぎと謳われる、朱鳥の憧れの焔薙ぎの一人だ。相手がこの男でなければ、もうちょっとこのお見合いに対する気分も違っただろうに。
「そんな顔するってことはよっぽど厳しいのね、安曇さんって。……なのに、何でその弟子はこんなヤツ……?」
 その時、朱鳥の鞄の中の携帯が音を立てた。朱鳥は、慌てて携帯を取り出す。
「……あばあちゃんから?」
「出れば?」
 朱鳥の呟きに、刀夜があっさりと促す。見合い中に携帯電話の電源を切ったり、せめてマナーモードにしておかなかったのは、朱鳥の不手際だ。
 相手が憎き横取り男だろうが誰だろうが、失礼なことには変わりない。
「……ごめん、そうさせてもらうわ。……おばあちゃん、この時間にお見合いって知ってるはずなのに……」
 それでもかけてくるのだから、何か緊急の用事なのかもしれない。
 朱鳥は通話ボタンを押して、携帯電話を耳に押し当てた。
「……はい、朱鳥です」
『朱鳥、刀夜には会ったかい?』
 開口一番に飛び出してきたのは、そんな言葉だった。とても緊急の用事があるようには思えない穏やかな口調に、朱鳥は思わず眉をしかめる。
「会ったも何も……今、お見合い中だよ。おばあちゃん」
『そうだったね。なかなかいい青年だろう?』
「えー? あー、うー……あ、はは……」
 尊敬している祖母の言葉にも、朱鳥は乾いた笑いを浮かべるしかない。その時、朱鳥の傍らで携帯の着信音が響いた。ふっと視線を向ければ、刀夜が携帯電話を取り出している。
 通話する様子もなく操作しているところを見ると、電話ではなくメールのようだ。
『……さて、朱鳥。仕事の話だ』
「仕事って……今?」
 朱鳥の呟きに、刀夜が一瞬だけ目を細めたことに、朱鳥は気付かない。
『ああ。また新しい焔魔だよ。……この地域、今年は当たり年かもしれないねぇ。発生件数が多い。……だから、朱鳥。刀夜と協力して事件に当たるように』
「うん。……って、ええええええ!?」
 思わず叫んだ朱鳥の隣で、刀夜もまた眉をしかめていた。
「……は? マジかよ〜。協力して焔薙ぎって……何考えてんだ、師匠……」
 刀夜の独り言から察するに、メールの送信者は刀夜の師匠である安曇で、内容は今祖母が語った内容と一緒のようだ。
「だって……焔薙ぎって人数少ないから、担当エリアに一人が原則でしょ? まずいんじゃないの?」
 誰がこんな横取り男と! と言いたいのをぐっと堪えて言うと、電話越しに祖母が小さく笑った。
『普通はね。けど、焔魔の出現が頻発するような地域は例外だよ。一人じゃ保たないからねぇ。あんただって、一人じゃ辛いだろ?』
「そ、そんなこと……」
『朱鳥』
 ない、と言おうとした朱鳥の言葉を、祖母の強い口調が遮る。朱鳥は反射的に口を噤んだ。
『私達焔薙ぎは、焔魔から人々を守らなければならない。けれど同時に、負の感情に囚われてしまった魂を救済しなければならない。……そうだね?』
「……はい」
 榊原家は焔薙ぎの考え方は少々特殊だ。焔魔を悪と断定する焔薙ぎもいる中で、焔魔すら救済の対象としているのだから。
 実際、他の焔薙ぎからは甘いと言われたり糾弾されたりすることもあるらしい。
 けれど、朱鳥は榊原家の焔薙ぎの姿勢に誇りを持っている。むしろ、こういう考え方の家でなかったら、焔薙ぎを目指そうとは思わなかったかもしれない。
『……なら、どうすれば一番たくさんのものを守れるのか、救えるのか。最善の方法を選びな。あんたが一人で頑張りたい気持ちも、焔薙ぎとしての誇りも分かるけれど、そんなもんじゃ誰一人救われはなしないよ。あんたが満足するだけ』
 朱鳥は小さく息を呑んだ。無意識に背筋を伸ばす。
『誇りを持つなとは言わない。負けん気が強いことも、悪いことじゃない。向上心があるってことだからね。けれど、意地を張る場所を間違えちゃいけないよ』
「はい」
 声質が変わり真剣さを帯びた朱鳥を、刀夜が見下ろしている。その視線は感じたけれど、朱鳥はそちらを見ようとはしなかった。ただまっすぐに、前を見据える。
『朱鳥。もう一度、言うよ。……飛崎刀夜と協力して、この地域を守るんだ。……いいね?』
「はい!」
 力強く返事をしてから携帯電話を切り、朱鳥は刀夜を見上げた。刀夜は既に携帯電話をしまっていて、にやにやと朱鳥を見ている。
「お、話はついたか? 朱鳥」
 朱鳥は露骨に眉をしかめた。 嫌な男ではあるけれど、刀夜の焔薙ぎの実力は確かだ。ならば、考え方を変えればいい。
「馴れ馴れしく呼ばないでくれる? おばあちゃんの命令だし、あたしは最強の焔薙ぎを目指してるの! その夢のためにあんたを利用する、それだけなんだから!」
 朱鳥の言葉に、刀夜は面白そうに目を細めた。
「ほーお。そりゃ壮大な夢だなぁ」
「昨日の動きでは夢のまた夢であるな」
 刀夜の言葉を継ぐようなタイミングで、大きな羽音と共に大鷲が舞い降りる。朱鳥達からは離れた位置にいたホテルの客たちが小さくざわめいた。
 まるで本物の鳥のようだが、朱鳥は目の前の鳥が放つ気配に気付き目を見開く。
「うっわ! 鳥がしゃべった!! ……昨日の焔魔、よね?」
「そ。炎は抑えてるけどな」
「へえ、そんなこと出来るのね。契約した焔魔ってここまで実体持てるんだ……。へぇ〜、面白いかも。……ねぇ、名前は?」
「紅蓮だ! よく覚えておくのだな、小娘」
 紅蓮が胸を張るような動作をしようとしたが、空中で羽ばたいていた状態だったため、よろけた。
 普段ならば小娘呼ばわりに怒るところなのだが、何だかそれよりも先に笑いがこみ上げてしまう。
「うわ、偉そう! おもしろーい。上手く飛べないの?」
「そうではない! 炎を消すのに集中していると、飛ぶことに集中出来ないだけだ!」
「へぇ〜、ちょっと不器用なの? 何か可愛いね〜。あたし朱鳥! よろしくね! ……レンちゃんとぐっさんどっちがいい?」
「変な名で呼ぶでないっ!」
 そのやりとりに刀夜が微妙な笑みを浮かべて、朱鳥を見る。
「……ってか、俺とは随分態度違うじゃねーか」
 朱鳥はちらりと刀夜を見やると、ついっと視線をそむけた。
「うっさいわね、泥棒男に使ってやる愛想なんか持ち合わせてませーん」
「はっはっは! フられたな! 刀夜殿!」
「……紅蓮、お前どっちの味方だよ」
 刀夜に半眼で見られた紅蓮はごほんと咳払いをした。
「いや、刀夜殿。伝えたいことがあって参ったのだった」
「誤魔化すなよ、紅蓮。俺はそんな子に育てた覚えはないぞ?」
「そもそも、育てられた覚えがないっ! ……って、そうではない。この町、そこかしこから焔魔の気配がする……。異常だ」
 紅蓮のその言葉に、刀夜と朱鳥は同時に目を細めた。
 朱鳥の祖母の言葉通り、この町は焔魔発生の当たり年らしい。そんな当たりなどまったく嬉しくないが。
「よーし、じゃあ今日から毎晩デートだな、朱鳥」
「その言い方やめてよっ。 何で相手がよりによってあんたなのっ? やっぱ不本意だわっ」
 祖母の言葉に固まった決意も崩れ落ちそうだ。本心を言えば叫びだしたいところではあるが、こんな場所ではそうもいかない。朱鳥の呻きが爽やかな中庭に響いた。

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