携帯でニュースをチェックしながら、全身を黒い衣装で固めた朱鳥は小さく息をついた。その画面に表示されているのは、ここ数日世間を騒がせている事件だ。
 自動車ばかりが標的となっている連続放火事件。だが、単なる放火事件だと思われていたその事件は、ひとつの映像をきっかけにその様相を変えつつあった。
 最近被害にあったのもまた駐車場に停車していた自動車だったのだが、ちょうど防犯カメラに映る位置に車が停まっていたため、火の手が上がった瞬間を捕らえることが出来た。
 しかし、防犯カメラの映像には、屋根部分から何の前触れもなく火の手を上げる自動車以外には何も映っていなかった。放火をした人物もいなければ、発火装置を仕掛けたような様子もない。
 原因不明の炎上をしたその自動車の映像は、どこから流出したのか瞬く間に世間に広がった。
 今では『怪奇! 発火事件の謎!』という心霊特集番組が組まれたり、週刊誌でも面白おかしく取り上げられていたりする。
「……まあ、魂の存在が相手なんだから、カメラに映るワケないよねぇ。怪奇現象って言えば怪奇現象なのかもしれないけど……」
 事件の概要を改めて見直していた朱鳥がぽそりと呟く。発火現象の原因を知っている朱鳥からすれば、その番組も滑稽なものにしか映らない。
 そう、朱鳥は知っていた。一連の事件は『焔魔』という存在によるものだ。
 焔魔とは、恨みや悲しみなど負の感情を抱いたまま死んだ生き物の魂が、炎をまとって蘇った存在だと言われている。負の感情から生まれた焔魔はある意味純粋で、持って生まれた感情そのままに暴れまわる。
 今回の件の焔魔は、恐らく自動車が原因で命を落としたのだろう。その憎しみを自動車にぶつけた結果、連続自動車発火事件へと繋がった。
 けれど、このまま放置しておくのは危険だ。憎しみをぶつけたところで、魂が癒されるわけがない。いずれ負の感情に囚われ、見境なく暴れだすことになる。
 そうなる前に、様々な能力や道具を用いて焔魔を打ち滅ぼす。その役目を担った者達を『焔薙ぎ』と呼ぶ。
 焔薙ぎの相手は魂だ。 そう考えると焔薙ぎも霊能者のカテゴリーに入るのかもしれない。
 携帯電話の画面に表示された地図で現在地を確認すると、朱鳥は携帯電話を服のポケットにしまって歩き出した。
 その手には、バトントワリング用のバトンをいれる花柄の袋を手にしている。ふと、朱鳥は足を止めてバトン用の袋を見下ろした。
「……震えてる、よね?」
 その声と表情に微かな緊張の色が見える。朱鳥はぎこちない動作で袋の中身を取り出した。
 袋の中に入っていたのはバトンではない。一振りの、剣だった。
 直に剣に触れた朱鳥は、きゅっと眉をしかめる。気のせいではなかった。剣は微かに振動を続けている。
「……やっぱり、近いんだ。……焔魔のいる場所」
 場所はちょうど駐車場の中央だ。朱鳥は手にしていた剣を抜き放つ。
 月の光を浴びて輝く刀身は、銀。西洋ではグラディウスと呼ばれ、日本では菖蒲剣と言われるその剣に刃はない。朱鳥の家に伝わる技法により銀から生成されたその剣は、対焔魔用の特殊な剣だ。
 焔魔に近づくとその気配を察知して振動し、持ち主に焔魔の存在を知らせる。破邪退魔の力を持つと言われるその菖蒲剣の銘は『アヤメ』。朱鳥のためだけに造られた剣だ。
「榊原朱鳥、行きます! どっからでもかかってこーい!」
 そう叫んで自分を鼓舞するのは、緊張を自覚しているからだ。
 先日十七歳の誕生日を迎えたばかりの朱鳥は、祖母の澄子から一人前の焔薙ぎと認められたばかり。
 つまり、早い話が今日が初陣だ。
 今まで焔魔と戦うために訓練を積んできたわけだが、もちろん実戦など初めてなわけで。
 朱鳥は焔薙ぎという生業と榊原家を誇りに思っているし、ずっと一人前の焔薙ぎになれる日を夢見てきた。
 だからこそ、立派な焔薙ぎにならなければと思ってしまう。気負いすぎているのは分かっているが、こればかりはどうしようもない。
 深呼吸をした朱鳥は、緊張した面持ちのまま剣を構える。
 必要以上に緊張した朱鳥は気付いていなかった。この場に、自分以外の存在がいることに。

■ □ ■

 その青年は、駐車場に隣接するビルの非常階段の手すりに寄りかかり、息をついた。
 中二階のその場所からは駐車場の中央に陣取っている少女の後姿しか見えない。
「……着いた早々、紅蓮が焔魔の気配がするっつーから来てみれば……大丈夫かよ、あれ」
 呆れたような口調でそう呟くと同時に、駐車場から「かかってこーい!」という声が聞こえてきて、青年はがくりと脱力した。
 怪しすぎる。これでは警察に通報されても文句も言えない。
「……ってかあいつ、防犯カメラ確認したのか……?」
 この駐車場で発火事件が起こるのは、ほぼ確実だろう。そして、それを阻止するのが焔薙ぎの役目ではあるのだが、もし任務に失敗したら。
 防犯カメラがあれば、あの少女の姿は確実に映っているはずだ。発火事件の現場に居合わせたとなると、下手をしたら犯人扱いされるだろうし、そうでなくとも面倒な事態になることは間違いない。
 いや、その前にあんな物騒なものを手にしているのだから銃刀法違反で捕まるのだろうか。どちらにしろ、防犯カメラの有無の確認は基本中の基本なのだが。
 その時、青年の頭上でばさりと大きな羽音がした。
「刀夜殿。とりあえず、防犯カメラの確認は完了したぞ。この駐車場には一台も設置されておらん。無用心なことだ。……ところで、大丈夫なのか? あの小娘」
 刀夜と呼ばれた青年の頭に大鷲が止まる。その言葉は、間違いなくその大鷲から発せられたものだ。
「ご苦労さん、紅蓮。……つーか、頭に止まるんじゃねえ。いてぇし。ハゲたらどうしてくれる」
 常識的に考えて大鷲がしゃべるわけがないのだが、刀夜は不機嫌そうな表情で至って普通にそう返した。
 紅蓮と呼ばれた大鷲は刀夜の頭の上でふんぞり返った。
「どうせ、人間の一生など短い。将来ハゲるのだから、今から気にしても仕方あるまい」
「いや、将来ハゲるとか勝手に決めるんじゃねーよ。俺のフサフサの渋いおっさんになる未来を勝手にむしり取るんじゃねぇ」
 生真面目な口調でそう返してくる紅蓮という名の大鷲に、刀夜は即座に切り返して紅蓮を頭から払い落とした。
「ぬわっ!? 刀夜殿、何をするっ!? 炎を抑えている状態だから、あまり飛ぶことに労力を使いたくないのだ!」
「なら、その辺の木の枝か手すりにでも止まっとけよ。俺の頭に止まるんじゃねぇ。……あ、右手と右足が同時に出てる」
 刀夜の言葉に、紅蓮は大人しく階段の手すりに降り立つと駐車場に目を向けた。
 駐車場に立つ少女の動きは、遠目から見ても明らかなほどぎこちない。ぎしぎしとここにまで音が聞こえてきそうだ。
「……もう一度聞くが、あの小娘は大丈夫なのか?」
「俺に聞くなよ。……なーんか、初々しい感じだよなぁ。実戦、初めてなのか? すっげー緊張してるし」
「ここの焔魔はそんなに大物でもあるまい。今からあの調子だと、あの小娘、近いうちに大怪我するのではないか?」
 紅蓮の言葉に、刀夜は手すりに寄りかかったまま、目を細める。
「……かもな。まあ、行き当たったのも縁だろ。ちょっと様子見とこうぜ。あいつが倒せればそれでいいんだし」
 刀夜がそう言った瞬間、ふと生ぬるい風が流れた。
「……来る!」
 紅蓮がそう呟いたと同時に、駐車場の中央に紅い炎の塊が出現した。

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