「……う」
沈黙を破ったのは、テラの小さな呻き声だった。セシルはびくりと肩を跳ね上げ、振り返る。倒れたテラの身体が小さく動く。まだ、生きている。セシルはテラの元へ駆け寄った。ヤンとシドも。シドが、仰向けに倒れたテラを抱え起こした。
「……倒せなんだか……」
そう呟くテラの声は、何故か穏やかで。悔恨の響きはなかった。
「しゃべっちゃいかん!」
シドの言葉に、テラは微かに首を横に振った。それだけの動作ですら、ひどく弱々しい。
「……これも、報いかも、しれん……。憎しみに囚われ、戦った……」
「……テラ」
「テラ殿」
「…………セシル」
か細い声で呼ばれたセシルは、テラの身体の負担にならないように、顔を寄せた。
「ギルバートに……おぬしは、生きろと……。わしのように、憎しみに……囚われるのでは、なく……人を……世界を、その優しさで、愛して……幸せに……アンナと、わしの分、まで……」
テラの手が力を失い、ことりと床に落ちる。セシルが息を呑み、ヤンが固く目を閉じた。
「馬鹿者! 目を閉じるんじゃない!! 何か言わんか、このくそじじい!!」
シドが、テラの身体を揺さぶって叫ぶが、返事はない。あのどこか笑みを誘う悪態の応酬を聞くことも、もうないのだ。
「……娘さんと、安らかに過ごすんじゃぞ……」
それが、賢者と謳われた人の、最期だった。
「……テラ。あなたと、アンナの仇は……僕らが」
それは多分、剣を持って戦うことの出来るセシル達の役目だ。
セシルはぐっと顔を上げると、未だ倒れたまま起き上がる気配のない竜騎士へと駆け寄った。
「カイン!」
「う……俺は……セシル!」
肩を揺さぶられてようやく意識を取り戻したカインは、セシルに目を留めて勢いよく起き上がった。そうして、俯く。
「す、すまん……俺は……」
力なく項垂れるカインの肩を叩き、セシルは小さく首を横に振る。
「いいんだ、カイン。……操られていただけなんだから」
「しかし……」
「その話は後だ、カイン。ローザは?」
セシルの問いに、カインははっと顔を上げた。
「しまった! 時間がない!……こっちだ!」
そうして案内されたのは隣の部屋で、部屋の奥には柱に縛り付けられたローザがいた。そして彼女の頭上には斧が光っている。
「ローザ!!」
セシルは叫んでローザに駆け寄り、縄を剣で切ると柱からローザを引き離した。
瞬きほどの後、今までローザがいたその場所に斧が勢いよく落ちてくる。あとほんの少しでも遅かったらと思うと、背筋が冷えた。
「大丈夫か? ローザ」
ローザはこくりと頷いた。その顔は少々やつれているものの、怪我があるような様子はない。セシルは安堵にほっと息を吐く。そのセシルに、ローザが抱きついた。
「セシル……私、信じていたわ。あなたはきっと来てくれるって……」
セシルは穏やかに微笑んで、ローザを抱きしめ返す。
「ローザ。……君がいなくなって分かった……。僕は、君を……」
「おーおー、あっついの〜」
茶化すように言ったのは、ヤンと協力してテラの遺体をこちらの部屋まで運んできたシドだ。あちらに残しておく気にはなれなかったらしい。
セシルから身体を離したローザの顔が喜びに綻んだ。
「シド、ヤン! 来てくれたのね……!」
それからローザの視線は、セシルとローザの二人から顔を背けたカインに移った。ローザが目を見開く。
「カイン……」
「ローザ、カインの洗脳も解けたんだよ」
「すまない。セシル、ローザ……」
カインは項垂れ、詫びた。その声には、深い悔恨の色が滲んでいる。
「仕方なかったんだわ、カイン。あなたは操られていたんですもの」
「だが、自我はあった!」
そう言った後、兜の隙間から見える口元に微かに自嘲の笑みを浮かべた。カインの目元は兜に隠れて見えない。だから、カインがどんな表情をしているのか、セシルには分からなかった。
「それに……操られていたばかりじゃない。……俺は、君に……傍にいて、欲しかった……」
セシルはその言葉に思わず目を見開いた。
カインの想いの行く先に、全く気付いていなかったのだ。意思の強いカインがゴルベーザの手中に堕ちた理由が分かった気がした。生真面目なカインのことだ、相当に悩んでいたに違いない。だが、セシルは気付くこともなく、手を差し伸べることも出来なかった。
カインはいつでもセシルのことを助けてくれていたというのに。
ローザが一歩前に進み出る。そして、カインに手を差し伸べた。
「……一緒に戦いましょう、カイン」
それがどれほど残酷な仕打ちか、ローザは分かっているのか。
昔から異性に憧れや好意の視線を向けられることが多かったローザは、己に向けられる好意的な感情に酷く鈍いところがある。そもそも、ローザがカインの言葉の意味を理解しているのかすら、危うい。
「私もセシルも……あなたがいなきゃだめなのよ。私達……ずっと一緒だったじゃない」
やっぱり分かっていなかったらしい。シドが額に手を当て、ヤンが痛ましいげな視線をカインに送る。
だが、セシルはローザの側に立ちたい。危機に陥ったとき、何度この親友の姿を思い浮かべたことか。自分には、カインの存在が必要なのだと、この旅で身に染みて理解した。
セシルは口を開いた。脳裏に、緑色の少女の面影を思い起こしながら。
「約束を、したんだ……。リディアと」
穏やかな眼差しと声、そして唐突な話のないように、カインとローザは同時に瞬いたのだった。