ファブール城、八階にある王の間。ヤンの妻であるシーラは、僧兵が開けてくれた扉を抜けて王の間に入る。
シーラの姿は今までのエプロンをつけた主婦の姿ではない。今までの服よりも華美ではないが上等な衣服に、少しだけ居心地の悪そうな顔をしている。
「……あんたー」
いつもの威勢の良さはない。らしくない戸惑ったような声音を、王の間の奥に投げかける。――王座に着いている、自分の夫に向って。
呼びかけられたヤンは、小さく息をつきこめかみを揉んだ。
「今はお前も后だろう。あんたはよさんか……」
「そんなこと言ったって……!」
急に今日からあなたはお后様ですと言われて、はいそうですかなんて順応できるほど、シーラは図太くもなければ器用でもない。
「それに、あたしゃ堅っ苦しいのは苦手なんだよ……!」
ぐっと拳を握りしめてシーラがそう訴えると、王座の横に佇んでいた前王が口元に手をやり小さく笑う。
あの旅が終わりヤンがファブールに帰ってから、この国では王位交代があった。
バロンに攻め込まれた時に負傷した前王は、その傷は完全に癒えたものの、自分にはこの国を守りきる力が既にないと、退位を決意。そして後継にヤンを指名したのだ。
ファブールの王位は世襲ではなく、指名によって決まる。バロンに攻め込まれた時も先頭にたって戦い、そして世界を守るために戦ったヤンの王への就任は、国民に温かく迎えいれられた。
ヤンもシーラも、この国を守るために力を尽くすことに異論はない。けれど、急に変わった生活に、順応できないでいるのも事実だろう。
その時、時刻を知らせる鐘の音が聞こえる。ヤンがぴくりと顔を上げた。
「おっと、いかん! 訓練の時間だ! 行くぞっ!」
「はっ」
ヤンの言葉に僧兵たちが頷き、あっという間に玉座の間から去って行ってしまう。
当然のことだが、訓練は王の仕事では、ない。
「あんただってっ!!」
王の自覚がないんじゃないかっ!! と、既に見えないヤンに向かって叫ぶシーラを、前王は笑いながら諌めた。
「まあ、そう言うな。……ヤンなら、新たなファブールを創ってくれる」
あの戦いを通して得た絆が、ファブールを、そして何よりも世界をより良くしていってくれる。
言葉にはしなかった前王の想いを感じたのか、シーラも朗らかに笑った。脳裏に浮かぶのは、ファブールとクリスタルを守るためにヤンと共にこの国を訪れた人達の顔。
あの戦いも失ったばかりではない。きっと、この世界は良くなっていく。夫と夫が信頼する仲間達がいるのだから。
何人もの大工が、忙しなく城内を動き回り、工具の音が響き渡る。作業工程表を片手に、作業状況を見て回るギルバートは、少しずつ、だが確実に復興が進んでいる城の様子に、柔らかく微笑んだ。
ほんの少し前はほとんど人がいなかったダムシアンが日に日に賑わいを見せているのは、ギルバートが国に帰還したことを聞きつけた国民が、避難先から続々と戻って来ているからだ。
自分達の愛する国を、自分達の手で取り戻そう。そして、以前よりも美しい国にしよう。皆、そう言って。
それは、本当に恵まれていて、幸せなことだ。少しずつ明るくなっていく国の雰囲気を見ていると、しみじみとそう感じる。
そんなことを思いながら三階にさしかかると、ギルバートの姿に気付いた子供たちが笑顔で駆け寄ってくる。
「あ、王子様だー!」
「王子様〜っ」
「ねぇねぇ、またパラディンの詩を聞かせてよー」
ギルバートは柔らかく笑って屈みこむと、子供達の頭を優しく撫でた。
「ああ。……でも、今日の仕事が終わってからだ。早く、お城を元に戻したいだろう?」
ギルバートの言葉に、子供たちは力一杯頷く。
「うんっ!」
「王子様、約束ね!」
「きっとだよ〜」
そう言って元気に駆けていく子供達に手を振って、ギルバートは立ち上がる。その表情は優しい微笑みを浮かべたままだ。
ゴルベーザ率いる赤き翼に襲撃を受けた直後は、絶望しか感じなかった。そのままこの場で死んでもいいと思った。明るい未来なんて信じられなかった。……けれど。
「……アンナ」
今でも一番愛おしい女性の名を、呟く。彼女を失ってしまったことは、未だ悲しく、守れなかったことを悔やむ日々だ。彼女の夢を見ては、泣きながら目覚めることもある。ギルバートの心の傷は未だ癒えていないのだろう。それでも、その傷を抱えて、前に進むことは出来る。
「君は空から見ていてくれ。……僕にはまだ、ダムシアンの人達がいる。テラさんと、仲良くね……」
窓から覗く青空を見上げ、そう呟くと。ギルバートは、表情を改めて歩き出した。