前方で立ち止まっている竜騎士の肩の辺りを手甲で叩くと、やたらと景気のいい音がした。
「……っしゃ! いっくぜ!」
ゼムスの憎悪の気配に気圧された雰囲気を吹き飛ばすかのように、明るく声を上げる。
そして、いつも通りの声が出せたことに、内心ほっとした。
自分もまた気圧されていると分かっているからこそ、いつもの自分を取り戻そうと声を張り上げたのだ。
カインを追いこして振り返ると、竜を模した兜の下の目が丸くなっているのが見えた。
ああ、やっぱりやばかったんだな。
カインの放つ気配に不穏なものを感じたからこそ肩を叩いたわけだが、エッジのその行動は間違っていなかったらしい。
カインも自分を保とうと必死なのだろう。エッジに対して軽口を叩いてくる。それにエッジも軽口で応じる。
いつも通りのやりとりだ。けれど、それを意識しないと出来ない自分に気付いて、エッジは微かに苦笑する。
――……びびってんのか、俺は。
らしくないと自分でも思う。けれど、このものすごい気の渦の中で平然とした顔を装うだけでやっとだ。
気を抜いたら身体は震えるだろうし、心の中はこの場から逃げ出したい気持ちで一杯だ。
ルビカンテと対峙した時とは比べものにならないくらいの、禍々しい気配。長年の修行によって研ぎ澄まされたエッジの生存本能は、この先は危険だから立ち去れと告げている。
それでも、エッジの足は一歩一歩前へと進んで行く。その歩みは、魔物の出現によって止まることはあっても、後ろに下がることはない。
ふと、思う。何で俺は逃げないんだろう。
ここでゼムスを倒さなければ、エブラーナにも危険が及ぶからというのはあるだろう。父と母の遺志を継ぎ、エブラーナを守ることはエッジの使命だ。
けれど、それだけではないとも思う。
ふと、セシルとそれを心配そうに見つめるローザに視線を向けた。そして、それを静かに見守るカインにも。
次代の王として育てられてきたエッジには、今まで友と呼べるような者はいなかった。
どれだけ親しくても、根底にある次代君主と臣下という関係が覆ることはなかったし、また覆す必要もなかった。
だから、今一緒に旅をしている仲間達は、エッジにとっては初めて親しくしている同年代の人間。初めて友と呼べるような存在だ。
そして、もう一人。
「……この気配、何だか悲しくなる……」
エッジの傍に寄って来たリディアがぽつんと呟く。
「悲しい? ……怖い、じゃなくてか?」
感受性の強いこの少女ならば、この禍々しい気配に怯えるのではないかと思っていたのだが。
「うーん……怖いっていうのもあるけど……それよりもやっぱり悲しい、かな? ……憎むって、すごくパワーがいると思うの。しかも、こんな風に全部を憎むなんて……ゼムスには、支えてくれる人や助けてくれる人がいなかったのかなぁって……。そう思ったら、何だか悲しいなぁって……」
憎しみを乗り越えてここにいるリディアの言葉は、単純なようで深い。
エッジも一時、強い憎しみを抱いていた。それを消化できたのは、自分だけの力ではない。
仲間達が、そしてこの純粋な少女がいたからだ。
「……あー、そっか……」
ぽつんと思わず零れた呟きに、よく聞き取れなかったのかリディアが首を傾げる。エッジは何でもないと首を振る。
この局面でも逃げない、その答えは。
お人よしなこの連中が、好きだからだ。そして、何よりもこの純粋なこの少女が大切だから。
世界を守るためと始めた旅ではあったが、命を懸ける理由なんてこれくらいシンプルな方が分かりやすくていいのかもしれない。
導き出された答えに、エッジは満足そうに口の端を持ち上げたのだった。