ぞわりと背筋を走る悪寒と頭の中に直接響く、怨嗟の声に。
カインは思わず足を止めて立ち尽くしてしまった。
――……憎いのだろう。憎めばいい。全てを、憎め。
ゴルベーザを通してではあったがゼムスに操られたカインにだけ、この声が聞こえているようだ。激しい負の感情の波に気圧された様子はあっても、動揺しているようなそぶりは他の仲間にはない。
激しい憎悪の感情の渦に、気を抜けば意識をもっていかれそうになる。
カインが思わず唇を噛みしめた、その瞬間。
「……っしゃ! いっくぜ!」
明るい声と同時にガツンと響く大きな音。そして肩に走った衝撃に、はっと我に返った。
ちらりとエッジがカインに視線を向けてくる。カインの心が流されそうになっていたのを見抜くような、そんな瞳だ。
カインは兜の下で小さく苦笑した。もし、三度目があったら。今度は許されることはない。自分は断罪されるだろう。魔導船でのやりとりの通り、エッジはカインを斬ってでも止めるだろうから。
忍者らしく、感情を殺して。それでも、この妙に情に厚い若様が何も感じないわけがない。
それでも、いざとなれば力づくでも止めてくれる男がいる、今度は許されることなく罪を贖えるのだと思うと、不思議と心に余裕が出来た。
エッジに対して軽口を叩けば、ほんの少しだけいつもの調子を取り戻せた。頭の中に響く声が少しだけ遠くなる。
小さく息をついたカインは、エッジの背からセシルへと視線を滑らせた。
二度裏切ったというのに、それでもカインの事を許したセシル。それならばゴルベーザのことも……と思ってしまうのは、身勝手な願いだろうか。
同じように操られていたからこそ、そんな風に思ってしまうのかもしれない。
その時、再びあの声が響く。
――……憎いのだろう、その男が。
カインは小さく唇を噛みしめた。そして、心の中でその言葉を否定する。
違う。俺は、セシルを憎んでなど、いない……!
――……ならば、憎いのはその女か……?
続いてそう響いた言葉に、カインは反射的にローザに視線を向けていた。
想いが通じないことに、苛立ったこともある。けれど、ただ純粋にカインを兄として慕っているローザを、憎めるはずもない。
ふと視線を感じて目線を下に向けると、リディアが心配そうな面持ちでカインを見上げていた。
この少女を泣かせることもしたくないな、と思いながら、大丈夫だと頷いて見せる。
リディアは深い翡翠色の瞳でカインをじっと見つめていたが、何かを感じ取ったのか、こくんとひとつ頷いてエッジの方へと駆けていく。
声はまだ微かに頭の中で響いている。封印の洞窟の時と似たような状況だ。けれど、ただ憎しみに流されてしまったあの時とは、カインの心の在りようが違う。
今なら、どうすればよかったのかが分かる。
たぶん、自分はもっと周りに助けを求めればよかったのだ。自分の心の内を少しでも吐き出せていれば、仲間は手を差し伸べてくれたに違いない。
だが自分の中で、セシルやローザに兄のように慕われていることに誇りを持っている部分があった。それ故に、情けない姿を見せられない、見せたくないと自分を追いつめた。
そうして行き場のない心を、ゼムスに利用されたのだ。
たとえ、自分の弱いところをみせても、やり場のない想いをぶつけても、セシルもローザもカインの事を情けないなどとは思わないと分かっているのに、妙なプライドが邪魔をした。
憎むべきは、セシルでもローザでもなく。自分の中の弱さだったのだと、ここ来てようやく気付いた。
ふと気づけば、頭の中に響く声はぴたりとやんでいる。
なめるなよ、ゼムス。……人の、心を……!
瞳に出来る限りの力を込めて。カインはきっと前を見据えたのだった。