先頭を走っていたセシルが、右手を挙げてリディア達に止まるように促す。
「セシル?」
不思議そうに首を傾げたリディアだが、微かに声が聞こえたような気がして慌てて口を噤む。
聞こえてくる声は二つ。そして、その片方には微かだが聞き覚えがある。
「……ルビカンテ」
カインの唇が小さくそう動くのを見て、リディアは息を呑んだ。
それでは、もう片方の声の主は。
「ようやく会えたな、ルビカンテ!! 今日という日を待ってたぜ!」
その声は強い怒りに染まっていた。その声の主に応じるルビカンテの声は、どこか面白がるような響きをしている。
「ほう、どこかで会ったかな?」
「俺がエブラーナ王子、エッジ様よ!」
気配を殺して岩の影に体を隠しつつ、リディアは声のする方向に視線を向ける。ルビカンテに対峙しているのは、白いマントを羽織った銀髪の男だ。こちらに背を向けているため、その表情までは分からない。
「エブラーナ? 何のことかな?」
「ふざけやがって……! てめえの胸に聞いてみやがれっ!!」
家老から聞いていたとおり、王子にしては口が悪い。
「いくぜっ!! ……臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!! ――火遁!!」
聞き覚えのない不思議な言葉と同時に、王子の腕が動き、何もない空間に炎が生まれた。黒魔法とは明らかに異なるその力に、リディアは目を見開いた。
王子の炎を受けながら、ルビカンテは薄く笑った。
「ふっ……何だ、この脆弱な炎は……。炎とはこう扱うのだ!! ――火炎流!!」
ルビカンテがばさりとマントを掃って腕を振るうと、炎の渦が王子に襲いかかった。凄まじい魔力の本流と炎の威力に、リディアは思わず息を止める。
炎が収まると王子はその場にがくりと崩れ落ちた。何とか倒れずにいるような、そんな状態だ。
「ち、きしょう……」
小さく悪態をつく王子に、ルビカンテは目を細めた。
「なかなかの強さだ。自信を持つだけはある……。だが、まだ私には及ばぬ。腕を磨いてこい。いつでも相手になるぞ!」
そう言ってルビカンテは抜け道の奥に消えてしまう。王子が、傷ついた左腕を伸ばした。
「ま、ちやがれ……ルビ、カンテ……!」
その執念に、リディアは思わず肩を震わせた。力を失って手がぱたりと床に落ちる。その音にはっと我に返ったセシルが、慌てて王子に近づいた。その後ろに、リディア達も続く。
「大丈夫か!?」
一番最初に声をかけたセシルに、王子は視線だけを向ける。
「……な、さけねぇ……この、俺が……負けるなんざ……!」
全身に負った傷のせいで、声を出すのもやっとなのだろう。その声はひどく掠れていた。
「……私たちも、ルビカンテの持つクリスタルを追っているの!」
だから、一緒に行こう。そう続けようとしたリディアの言葉を、しかしエッジは強い声で遮る。
「手を出すな! 奴は、俺が……この手でブッ倒す……!」
エッジの鉄色の瞳が鈍く光る。その瞳は、目の前にいるリディアを全く見ていなかった。
「相手は四天王だぜ、王子様」
「奴の強さは味わったろう!」
カインとセシルも口々に述べるが、エッジは小さく鼻で笑っただけだった。
「へっ……俺を、ただの甘ちゃん王子だと、思うなよ……。エブラーナの王族は……代々忍者の奥義を、受け継いでんだ……!」
そう言いつつも、限界が近いのだろう。エッジの声がどんどんと小さくなっていく。
けれど、その声に込められた意思の強さは変わらない。この強い感情を、リディアは知っていた。
脳裏を二つの面影が過る。リディアはぐっと唇を噛んで、手を握りしめた。
「おめーらより、一枚も二枚も……上手だ、ぜ!」
「――っいい加減にしてぇっ!!」
気づけば、叫んでいた。堪えることの出来なかった涙が、一気に翡翠の瞳から溢れだす。
「もうこれ以上死んじゃうのは嫌よぉっ!!」
初めてリディアの存在に気付いたかのように、エッジはリディアを見つめ、それから呆けたような表情になった。
エッジの張りつめた気配が霧散する。けれど、そのことに気付かずにリディアはぼろぼろと泣きながら叫ぶ。
「テラのおじいちゃんも、ヤンも、シドのおじちゃんも、みんな、みんな……!」
「お、おい……」
エッジが焦ったような声を上げる。
幼い頃は、大きくなれば何でも守れるのだと思っていた。けれど、実際に大人になってみればそんなことはなくて。大切なものはどんどんリディアの手から零れ落ちてしまう。
大切なものが守れないのが、悲しい。無力さを強く感じて、悔しい。
「リディア……」
セシルの声に、リディアは手の甲でぐいっと涙を拭った。
「……相手は、四天王最強の男だ。勝ち目があるかどうかも分からない。けれど、僕達はクリスタルを取り戻さなければならないんだ! だから……」
セシルの言葉に、しかしエッジはリディアを見つめたまま苦笑した。
「……こんな綺麗なねーちゃんに泣かれたんじゃ、しょーがねぇ……。ここは一発、手を組もうじゃねーか」
一瞬、何を言われたのか分からずにリディアはきょとんとした顔で瞬いた。カインが額に手を当てて、呆れたようなため息をつく。
「まったく、こんな状態で口の減らない王子様だ。見てられんな。……おい、ローザ!」
「真白き光よ、優しき祝福よ。彼の者を癒したまえ……ケアルラ」
カインの言葉に小さく頷いて放ったケアルラが、エッジの火傷を瞬時に癒す。
「おお!?」
エッジは驚きの声を上げ、素早い動作で立ち上がるとローザににかっと笑いかける。
「サンキュー、ねーちゃん! あんたも可愛いぜ!」
その言葉に、リディアは眩暈すら覚えた。
何なの、この王子様。大人のくせに子どもみたい。
「よっしゃ! そんじゃ仲良く乗り込むとしよーぜっ!」
「調子いいの!」
リディアの言葉に、エッジは子どものような明るい笑みを浮かべたのだった。